『生きている戦犯』は、戦後シベリアに5年間「捕虜」として抑留後、中国「撫順戦犯管理所」に6年間、今度は「戦犯」として収容された元将校の話。元将校の思想は変わらず、シベリアでも管理所でも反抗した。しかし、管理所側の人道的扱に徐々に自己の過去と家族を思い出し、自分の加害の過去の懺悔に至る。その心の葛藤と経過を著者がインタビューし本にまとめた。この本の著者・歸山則之(かえりやま・のりゆき)さんに出版にまつわるお話を伺った。
歸山則之(かえりやま・のりゆき)さん
1952年、福井県武生市(たけふ=現越前市)生まれ。大阪芸術大学卒業。
以来、アートディレクターとして糊口をしのぎ、継続中。古武術の某流派の手裏剣術と抜刀術を習得。趣味は縄文土器づくり。
「撫順の奇蹟を受け継ぐ会・千葉支部」会員。
記者:歸山さんは福井県のご出身で大阪芸術大学を卒業し、この『生きている戦犯』の装丁もご自分で手がけたとのことですが、その様なお仕事をされているのですか?
歸山:本業はデザイナーで広告・PR関連物を制作しています。
この本に関しては、取材と資料収集、テキスト起こしにレイアウト、DTPから装丁まで全部自分でやったという、なんとか貧乏の好サンプルとなっています。
記者:元将校の金井貞直さんとは、何時どんなキッカケでお知り合いになったのですか。
歸山:数年前、「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」の千葉支部ができ、集会の様子を見に行ったときからです。
記者:最初から戦争や平和運動などに関心があったのでしょうか?
歸山:平和運動には関心はさっぱりでしたが、日本の行なった戦争には興味があり、内外の戦跡などをよく訪れていました。
記者:最初、金井さんのどんな部分に関心を持たれたのですか?
歸山:元中帰連の会員ということだけでも興味津々でした。さらに中帰連の活動に家族が理解を示していたというのが、実のところ意外でした。家族に嫌がられ、反対を押し切って続けている姿を勝手に想像してました。
記者:この聴き取りにはどのくらい時間が必要でしたか。
歸山:聴き取り開始から4年くらいかかっています。だいたい2ヶ月に一度、4、5時間話を聞いて、次までにテープ起こし資料あさりをしておく、といった感じです。私の仕事が忙しかったり金井さんが入院したり、なかなか進まないこともありました。
記者:金井さんはシベリア抑留と撫順戦犯管理所の双方の体験をしましたが、歸山さんが一番関心を持った部分や感動した部分はどの辺ですか。
歸山:シベリアの民主運動に最後まで屈しなかった、その信念の持ちようが凄いです。反動姿勢は、いとも簡単に変節し権力にすり寄っていく人たちへのアンチテーゼであり、撫順監獄でも容易に当局の軍門には下らなかったのです。さらに、そういう頑固一徹な人が、ついには人間として生まれ変わった、そんなことが実際にあったなんて凄い話でした。
記者:その他、金井さんやこの本に対する思いや裏話をお聞かせ下さい。
歸山:これは中帰連を手放しで持ち上げた本ではなく、危ない話も正直に話してくれました。自費出版とはいえ載せられない話もありました。
また、金井さんは中国に大きな恩義を感じているのですが、現中国にべったりの追従派ではありません。国内の問題点を置き去りにしたままでは将来の人民中国のために良くない、と憂慮しています。それが金井さんの日中友好の姿勢なんです。
記者:この本は「資料」としても貴重であり、「増刷」を手配とのことで多くの人に読んで戴きたいと思います。有難う御座い増ました。
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