貧困や労働、秋葉原事件などをテーマにした、作家の鎌田慧さんとNPO法人「もやい」事務局長の湯浅誠さんのトークセッションを取材しました。お二人は、ご自身の体験を下敷きに、労働運動の歴史や若者たちが置かれている状況などに触れ、NOといえない労働者からの脱皮が重要なこと、労働運動が市民運動へ変化してきている、などの点を指摘していました。
鎌田慧さん
出版社20社が参加している、「平和の棚の会」設立記念連続トークセッションの2回目として開催された、「いま、連帯は可能か−現代の労働、貧困、アキバ事件−」を取材しました。
鎌田慧さんは、ルポライターとして私が以前から敬愛していた方ですが、直接話を聞くのは初めてでした。また、鎌田さんと湯浅さんも初めてのセッションだそうです。
トークの前に、この企画を担当した大月書店編集部の西さんから紹介されたこの日のトークのテーマは、「現代の労働と貧困、アキバ事件などをめぐる現代の社会状況について、世代の異なる2人からまず経験を語っていただき、そこから論点を見出して今の社会をどう考えるか、どういう風に連帯が可能かを話していただきたい」でした。お2人のトークセッションは、以下のように行なわれました。
<労働問題に関して強く感じていること>
鎌田:いま問題になっている労働者派遣法には、1985年からずっと反対してきた。なぜかというと、労働者派遣法は、人夫出し、暴力飯場を復活させるものだから。それを、法律で認めるということ、(それは、かつてあった)人夫出しを合法化するということ。
いまの日本の経営者たちは、自分が統制できないような労働者を安い給料で使っているけれど、そのうちひどい目に逢うぞというのが僕の予言。暴動的な大ストライキが、瞬間的でなかなか継続しないかもしれないが、起こる可能性を含んでいるぞ、それで良いのかということを僕は言っている。
湯浅:私は、95年から野宿の人たち(ホームレス)の活動に関わってきた。路上には昔から手配師と言われる人たちが回っていた。東京の山谷、大阪の釜ヶ崎などで、私的なブローカーたちが、禁止されていた職業斡旋を私的にやる。90年代にバブルがはじけて、寄せ場で食べられなくなった人たちが新宿や渋谷、池袋に出て野宿を始めたんですが、そこに手配師が追っかけて来た。派遣法をどんどん緩めていくというのは、手配師をずっと放任していくということだろうと思う。
97〜8年ころから、30代くらいの野宿の人が現れ始めた。2001年から「もやい」という団体を立ち上げて、野宿の人だけでなく、生活に困った人はどうぞ来てくださいという間口を開けたら、ネットカフェに泊まっている人や若い人、アパートに住んでいるけれども暮せない、という人たちがたくさん相談に来るようになってしまった。
いま、生きていけないという相談は月100件くらいだが、その半分くらいは20〜30代の若い人。1つには、私たちが若者の対応をしているという面が強調されてメディアに出たので、という面があると思うが、それを差し引いても、若い人が急速に食べられなくなって来ているということを感じている。
最初は、野宿者問題をやっていると言っていたが、そのうち、ネットカフェにいる人たちが相談に来ると、これは広義のホームレス問題だと言い始めていた。ところが、アパートに住んでいる人も相談に来るようになり、これは広義のホームレス問題ともいえない。貧困問題として括るしかないだろう(と考えるようになった)。
<労働運動のあり方―変わってきたか、変わっていないか。変わっているとしたら、どう変わってきたのか。運動・連帯の可能性についてなど>
鎌田:戦後になって、ようやく労働者の団結権が認められて(労働者に関する)色々な法律や制度ができて、そこから日本の労働運動が始まっていると言って良いと思う。ただ、戦後すぐに労働者が解放された訳ではなくて、中小企業での労働者は悲惨な状況になっていた。官公庁などは、マッカーサーの命令だから(労働組合を)作ろうということでできていたが、中小企業や町工場労働者などは見捨てられていた。大企業と零細中小企業の二重構造の中で、働く者の身分も全く違っていた。
しかし、50年代の半ばに中小企業でも争議が始まり、近江絹糸の女子労働者たちの人権争議が起き、その影響が全国に波及していろんなところで争議が始まった。(同じころ)全総連というところが個人別(個人参加)の組合を作った。そこで未組織労働者の組織化をやった。
その後、大企業の労働者の間で生産向上運動が始まった。会社を大きくして分け前を増やせば、豊かになるという思想が労働者の中に(受け)入れられていった。大企業の労働組合は、合理化に協力して生産性を上げれば、生活は豊かになってゆく。労働者の権利とか労使関係ではなく、とにかく生産向上運動を一生懸命やろうとした。それに対して批判する連中は逮捕されるとか、労働組合はどんどん分割されて第2組合が中心になっていく。
これは、イデオロギー闘争で変わっていったのではなく、ほとんどお金を使って労働組合をつぶしている。高度成長の中では、労働組合がなくても賃金は上がっていた。
いま労働者は、飢餓賃金と言って労働者が子どもを育てて生きるということができない、というあり得ない状態に置かれている。労働者が、極く普通の生活をしてきた歴史が、労働組合の防衛がなくなって、いまは結婚して子どもを育てるということもできない。労働者の再生産が効かない社会になってくるから、次の社会は誰も考えていないことになる。僕はこれは、公害問題と同じだと言っている。
貧困問題は若い人が取り組んでいる。時代が変わってきたんです。労働運動から市民運動に変化し、いろんな運動が繋がってきた。
湯浅:今年、自由と生存のメーデーというのが開催された。労働と生活がセットで考えられるようになっている。これをどうつないでいくか、が今後の課題。
大きなところを揺さぶっていきたい。(雇用者に対して)NOと言えない労働者からどう脱皮するか。弱さを自覚し、人と繋がらないとやっていけない、できるところが一緒にやっていく、ということが大事だと思う。
湯浅誠さん
<会場からの質問>
Q1:若い人の雇用は、自分が体験した10年前よりもっとえげつないことになっていると思う。派遣労働法の規制、日雇い労働の禁止などが必要と思うと同時に、現場で声を上げること(ネットワークを作ること)も必要だと考える。今後どうあるべきかについてお聞きしたい。
鎌田:(さまざまな運動をしている人たちに対して)心を広く持つこと、寛容になること。矛盾を解決するためには、誰がやっていても足を引っ張ったり、裏切らないことだと思う。動きをつぶさないようにすること。
湯浅:旧来の運動をやっていた人は、違いを見つけることに長けている。それをやっていると仲間を増やせない。違いを見つけて批判してきたエネルギーを、一致点を見出すことに使っていたら相当変わっていただろう。これからは、意識的にやっていくことにエネルギーを割くことが必要だと思う。
Q2;秋葉原事件についてのコメントが出なかったが、聞きたかった。
鎌田:地方から都会に出てくると住宅問題は重大。失業したら生活していけない、焦りが強い。これは地方出身者特有のもの。こういう人たちが、安心して暮らせない社会になっている。社会の問題として、どう受け止めて解決していくのか。いろいろな問題を解決していけば、犯罪を少なくしていけるだろう。
湯浅:容疑者は、「もやい」に来る相談メールの人と同じ状況にあると思う。この人たちは、たまたま私たちのことを知って連絡してきているが、その背後にいる人たちは、連絡先を知らなかったり、役所に行っても追い返されたりしている。その人たちが、破れかぶれになっちゃわないという保証はどこにもない。
逆に、あの容疑者がなんかの拍子に「もやい」を訪ねてきたら、あの事件は起こらなかったかもしれない。パーソナリティによるものもあるかもしれないが、ほとんど偶然に左右されている。第2、第3の被害者を生まないために、ということで誰でも合意できるなら何でもやるということになっているかというと、そうはなっていない。
2度と悲劇を繰り返してはいけないと思ってない、ということを問題にしていかないといけないと思う。
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私がこのトークセッションの案内を見た時、流行り言葉のようにさえ響く「貧困」という言葉と「アキバ事件」、この2つの言葉(文字)がまず目に留まりました。そして、このトークセッションのお2人のお話を聞きたいという思いはあったものの、「連帯は可能か」の連帯とは何の連帯かということと、秋葉原事件がどう結び付くのかということが、当日トークを聞くまで分からなかったのです。
でも、「貧困」と労働運動が私の中で結び付いた時、貧困問題について声を上げることが新たな労働運動であり、旧来の運動とは違って生活問題と直結しているのだということが理解できました。
そして、現在さまざまな形で表れている貧困・労働をめぐる動きが繋がったとき、社会を変える大きな動きになり得るのではないか、と思います。
さらに、秋葉原で起きた事件は、個人が起こす犯罪や罪を決して容認するものではないが、社会問題であるという認識も新たにしました。
なお、「平和の棚ブックフェア」は10月31日まで、東京・ジュンク堂新宿店7階で開催されています。また、連続トークセッションはあと3回予定されています。
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