編者:山田鋭夫・宇仁宏幸・鍋島直樹
出版社:昭和堂
定価:3600円+税
1974年のオイルクライシス以後、資本主義経済制度の社会主義経済制度への優位が明確になり、マルクス経済学が信認を失う中で新たな批判的経済理論として、本書の寄稿者の1人であるボワイエ等により提唱されたのが、レギュラシオン(調整)理論である。
本書の編著者の1人、山田鋭夫氏は、この理論の日本における第一人者であり、本書は山田氏の名古屋大学退職を記念して編まれたレギュラシオン理論の立場からの12人の研究者による現代資本主義(オイルクライシス以後の世界経済・各国経済特に日本経済)の、12編の研究論文集である。
論文集だが寄稿者達の立場は共通していて、第1部「現代資本主義の多様性」、第2部「現代資本主義の制度的構造的変化」、第3部「日本経済の制度的変化」、という構成からも分かるように、日本経済を中心に現代経済の主要な問題が扱われ、通読すれば現代資本主義についてのまとまった知識が得られる。
また、経済を政治・社会・歴史等から切り離し自立した抽象的な学問として精緻な理論を展開する、現在の主流派(新古典派総合)経済学と違って、経済を政治・社会・歴史等との関連で論ずるレギュラシオン学派の手法は門外漢にも近づきやすいので、経済学の専門家でなくても「日経」の経済欄が読める程度の知識があれば、本書は充分読みこなせるし、得る所が多いだろう。また各論文は独立しているので、関心のあるものだけを読むことも可能である。
各論文の内容は、 巻頭の山田氏による「まえがき」に概説されている。ここでは、現代資本主義を分析するキーワードは「多様性」と「構造変化」であり、その背後に「制度」「調整」(レギュラシオン)という論点がある。さらに、制度や調整に関連して諸制度の「補完性」および「階層性」という論点も重きをなす、と本書の各論文に一貫する視角が述べられており、必読である。
第一部は、山田氏による総説的な第1章「資本主義社会の収斂性と多様性」から始まって、第2章「資本主義の多様性と福祉国家」(藤田奈々子)、第3章「諸制度の補完性・資本主義の多様性および経済パフォーマンス」(遠山弘徳)、第4章「産業構造の変化の多様性」(原田裕治)の4章から成る。第1章は経済史・学説史からのレギュラシオン理論の位置付けで、複数ある資本主義社会が、いずれ単一のモデルに収斂するか、複数であり続けるのか、という問題を中心に議論が展開される。
最近では、問題点を指摘する声が増えたとはいえ、アメリカ経済を自由競争原理に基づく市場経済の先導的モデルと位置付け、各国経済はそこに収斂していく、というグローバリズムは今でも支配的な言説である。それに対し第1章では、様々な事例の検討を通じて、「グローバリゼーションのもと21世紀世界は市場型資本主義に向かって収斂しているどころか、多様な資本主義が共存・競合しているのである」と主張する。
そして、今後の課題として、とりわけ重要になってくるのは資本主義の空間的可変性を認識したうえで、並列的・相対的な歴史認識に終わるのでなく、時間的可変性の認識をいかに獲得するかである、と提案している。
多様な資本主義の分類について、本書の多くの寄稿者が取り上げるのは、アマーブルの「五つの資本主義」〔山田鋭夫・原田裕治 他訳 藤原書店 2005)である。この分類が地域性・歴史性に基づいているのに対し、内在的構造に基づくホールとソスキス等による「資本主義の多様性」(VOC)の分類がある。
第2章では福祉政策の分析を通じて、第3章では各国経済の計量経済的分析を通じて この両者の比較検討がなされ、ともにこの2種類の分類は補完的であると結論している。なお第3章の分析の詳細は省略されていて、一般読者はその方が読みやすいが、専門家には物足らないだろう。
第4章では、「先進資本主義経済において共通して観察される工業部門の比重低下と経済動態との関連」を計量経済的に分析し、多変量解析の手法で構造変化の類型化を行っている。今後の研究だけでなく、経済政策に対しても示唆的な章である。
第2部は第5章「資本主義経済の制度的・構造的変化」(鍋島直樹)、第6章「90年代日本と米国の構造変化と資本蓄積」(宇仁宏幸)、第7章「社会保障改革における制度の問題」(平野泰朗)、第8章「世界市場の統合とガバナンス問題」(八木紀一郎)の4章から成る。
第5章では「資本主義経済の金融構造が景気の拡張とともに次第に脆弱化していく」というミンスキーの「金融不安定仮説」(吉野紀、 浅田統一郎、内田和男 訳「金融不安定性の経済学ー歴史・理論・政策ー」多賀出版 1989)を検討し、 それがマルクスとケインズの問題関心を糾合する現代政治経済学の新たな発展の可能性を開く、と主張する。なお本書で金融問題をテーマとしているのは、この章だけである(第3部では副次的に扱った章があるが)。
第6章では、90年代日本経済は低迷したのにアメリカ経済が成長した理由として、部門別に労働生産性格差のある経済では、需要の商品別構成比が変化しない(または生産性上昇率が低い商品の需要が増加する)場合、雇用は生産性上昇率が低い部門に集中し、経済成長率が低下する「ネガテイブな構造変化」が起きる。一方、生産性上昇率が高い商品の需要成長率が相対的に高い場合は、成長率が増加する「ポジテイブな構造変化」が起きるという仮説を、計量経済的に検討し、アメリカの場合は、特にIT産業がポジテイブな構造変化を引き起こし、日本では(バブル時代の過剰投資に由来する)機械に対する投資需要の停滞が、ネガテイブな構造変化を引き起こした、と結論する。
さらに 「この時期、労働生産性上昇の成果を賃金所得の上昇として配分していたとすれば、1998〜2003年の米国で生じたような、機械消費の増加を介した累積的因果連関の成長促進作用が生まれたかもしれない」と、指摘する。この指摘は現在の日本経済についても当てはまるのではないだろうか?
第7章は年金問題を扱い、具体的な政策提案を行う。レギュラシオン学派らしく制度間の調整に注意を払っているのが特色である。
第8章は副題を、−全般的危機から「埋め込まれた自由主義」へー としている。八木氏は最初に、今では忘れ去られた正統派マルクス経済学の「資本主義の全般的危機」説は、社会主義経済体制の消滅が世界市場の統一性を回復させ、資本主義を「全般的危機」から救った、とも見直せると指摘し、その後、資本主義が帝国主義的対立を再燃させるのか対立を解消した「超帝国主義」的な発展がうまれるかが、興味深い論点であると、この章の主題をのべる。
そして、第2次大戦後の世界市場の統合は、理想主義的な国際貿易機関(ITO)の創設が挫折した後、多角的通商体制の原理と2国間通商体制および地域的経済統合の原理のもとに進行したと述べ、事例研究として旧東欧諸国の欧州経済への統合を詳説する。経済だけでなく安全保障など政治的側面にも目配りがあり、ソ連崩壊後、経済援助を与えることによってロシアの軍事的脅威を防止しているという指摘や、旧東欧諸国のEU加盟の為の経費は、その間のEU諸国の東欧諸国に対する貿易黒字の6割程度だという統計など、興味ある記述がある。
この章は南北問題やBRICs諸国の台頭がもたらす問題にも触れた後「大規模な社会的交渉を基礎として市場開放が採用され、資本主義をその持続的再生産に必要な社会的価値と調和させた状態を指す「埋め込まれた自由主義」(ラギー「埋め込まれた自由主義のグローバル化ー企業との関係ー」、ヘルド、アーキブージ(中谷義和 監訳)「グローバル化をどうとらえるか」法律文化社2004年)が今後の世界市場の統合の中で どう実現するか? また それにたいし「グローバルな公共領域」がどう実現するか? を今後の課題としてあげ、企業の自発的な国際貢献に期待をよせている。
レギュラシオン学派は、マルクスが19世紀イギリスの繊維産業を純粋資本主義として分析の対象としたのに対し、フォードに代表される20世紀アメリカの製造業を資本主義の基準モデルとして分析し、フォーデイズムという言葉も生まれた。それに対し、山田氏などは「豊田」を分析し、そこでの生産様式・労使関係がフォーデイズムに還元されない新たな様式であると指摘し、トヨデイズムという言葉を生んだ。
こうした企業分析を通じて経済を論じる手法に対し、「企業組織・労働市場・企業間関係」の三つの組み合わせを中心概念とする「階層的市場ー企業ネクサス論」が、それに補完的な手法として提唱されている。
第3部は、企業ネクサス論の提唱者である磯谷明徳氏と植村博恭氏による第9章「「階層的市場ー企業ネクサス」論の拡張に向けて」、第10章「「階層的市場ー企業ネクサス」と重層的調整メカニズム」の2編の論考の後、第11章「政府能力と企業能力」(宋磊)、と全体の締めくくり的な第12章「日本の失われた10年と困難なニューデイール」(ロベール・ボワイエ 訳 宇仁宏幸、横田宏樹)という海外の研究者による2編の論考が続く。
第9章では、企業組織・労働市場・企業間関係の相互関係として経済を分析する企業ネクサス論を、90年代以後の日本経済の実態に即して技術システムと金融システムを加えた5つ組の相互関係として分析することを提案する。そして、サプライ・サイドの生産者体制の分析だけでなく、デマンド・サイドの需要体制の分析もなされなければならないと主張する。
第10章では、企業ネクサス論に従って価格調整・労働調整等のメカニズムを統計を駆使して分析する。特に注目するのは、雇用の非正規化と成果主義の導入に伴う企業の賃金システムの変化と生産の国際化にともなう企業ネクサスの変化であり、今後、良質の中小企業労働者や海外労働者が得られるかが問題点である、と指摘している。
第11章では、やや時代をさかのぼって高度成長期での日本の産業政策を、鉄鋼業と自動車産業を例として検討し、鉄鋼業のように政府の助成が無かったとされる自動車産業でも、下請け企業との関係を制度的に調整するのに政府の貢献があったことを、指摘する。この章は、現在成長期にある中国が成長期の日本の産業政策をどう見ているか、を窺わせる記述がある。
第12章は、2004年に書かれた論文に本書に寄稿する際、それ以後の「景気回復」の状況を受けて、最後の10節を補筆したもので10節と9節までとはニュアンスに違いがある。
ボワイエ氏はバブル崩壊後の日本経済と大恐慌後のアメリカ経済を比較する。日本では財政支出・金融緩和などの施策が取られたのに長期停滞が続いていて、大恐慌後のアメリカと違うと指摘し、 低金利政策で利子率が事実上固定されている日本経済の分析には利子率を変数とするケインズ的手法は不適切で、フィシャーの「過剰負債に基づいたデフレ・スパイラル」論に従って行うべきだ、と主張する。
それに従って、ボワイエ氏は日本の失われた10年にたいする他の論者に対する批判を展開した後、自身の診断と処方箋を提示する。ただ、その内容は金融不安を重視するなど、これまで言われてきたことと大きな違いはない。むしろ注目すべきは、景気回復のためには経済の変革だけでなく、一票の格差の解消、男女平等の制度化などの政治改革、グローバル化にたいする長期戦略の策定などが必要だ、と主張していることである。
金融不安が解消され、景気回復の兆しが見えてきた2004年以後の状況を受けて補足された10節でも、この主張は変わらない。このあたり、外からは「日本の民主主義、人権未だし」と見られている、と痛感させられる。
各論考はそれぞれ充実した内容で教えられることが多く、現時点でのレギュラシオン理論の到達点を示している。専門家にとって本書は優れた学術書と迎えられるだろう。しかし、本書を現代資本主義を理解する為に非専門家が読む場合は いくつかの点を注意する必要がある。
まず各論文とも現象の解明が主で、その背後にあるものへの言及がない。これは学術論文としては当然だが、 非専門家には、現代資本主義の抱える諸問題が対症療法的に解決できる、との誤解を与えかねない。
また磯谷氏も指摘しているように、分析がサプライサイドに偏ってデマンドサイドの研究が少なく、労働関係も労働市場での調整として扱われ、主な研究対象が基幹的製造業であることも気になる。
宇仁氏も指摘しているように、現代資本主義では製造業の比重が低下し、金融・証券業、情報サービス業や流通業などのソフト産業の比重が増加しているのが特色だし、非製造業を評価できないマルクス経済学が社会主義経済体制を消滅させた、という見方も有る中でソフト産業の分析があまりされていないので、本書からは現代資本主義の特色や、資本主義経済体制が社会主義経済体制に勝った理由が見えない。また、視角が国内的には勝ち組、国際的には北側に置かれているように見えるのも、気になる。
そうした分析手法が成長途上の国々には魅力的なことは、第11章からも窺われるが、負け組や南側からの視点も重要だろう。レギュラシオン学派の前、矢張りフランスを中心に、 北が豊で南が貧しいのは北の南からの収奪による、と主張する従属学派が活動し、「低開発の開発」という言葉が生まれた(フランク、大崎正治はか 編訳「世界資本主義と低開発」柘植書房 1976)。
現在の日本は、景気が回復したと言われ、企業利潤・配当は大幅に増加し、企業や経営者・投資家は潤っているが、労働分配率は一貫して低下している。是は「低開発の開発」と同じメカニズムが日本の格差問題でも働いていることを示しているのではなかろうか?その意味で、レギュラシオン学派に従属学派的な視角を取り込むのは意味があるような気がする。
編著者の宇仁氏と鍋島氏は「あとがき」で本書を、現在の主流派経済学に対する「異端の書」と呼んでいるが、非専門家にとっては本書の視角は納得できる所が多い。本書のような視角が、学会で異端とされないことを希望する。