著者:山折哲雄
出版社:NHK出版
定価:1800円+税
本書では、日本の風土と日本人の文化伝統を縦と横の軸とし、その2次元平面上に垂直な時間軸として、宗教、歴史、文学を始めとし、各時代に生きた日本人の心の根底にあるものを、掬(すく)い上げて時代背景と共に示している。すなわち、本書全体が豊麗な、第3次元構造をなしていると見得る。
内容は豊富であり、幅広い視野、深い洞察力に加え、各時代の代表的人物と、著者が判定した多くの人達の著書や考え方等が、限り無い愛情を篭めて縦横に、取上げられる。
本書の標題の内包する領域は広大で、対象によっては若干舌足らずのもどかしさを覚えるケースもあった。しかし、著者は適切な仮説を設ける等々、思考実験にも優れており、また読者にも深く考える様に、多く暗黙の内にも促しており、単に自己の意見を述べるに留まっていない。本書は最近の極めて良き書物の一つと考えられる。以下各章毎に感想を述べる。
第1章*日本人の信仰 大学でインド哲学を専攻した著者が、荒涼たる砂漠で生まれた一神教の精神文化と、山川草木の豊な日本の風土に育まれた精神文化の相違を先ず浮き彫りにする。そして、ブッシュ父子両大統領が、湾岸戦争と9.11テロ事件に際して用いた「旧約聖書」詩篇のモーゼの詩等と対極にあるとして、「万葉集」特に挽歌に触れ、先ず森林、次いで稲作農耕社会、更に汚染された近代文明社会に言及し、日本文化の重層構造を鮮明ならしめ、筆者に強い印象を与えた。
「万葉集」の多くの挽歌では、死者の霊魂が山頂等高地に登り、遺体は単に魂の抜け殻であるとし、これを著者は縄文時代からの神道的な「霊肉二元論」と呼んでいる。此れに対し、6世紀半ばに伝来した仏教では本来、霊魂の問題を論ぜず、その考え方を「心身一元論」と呼んでいる。しかし、著者は日本人の柔軟な考え方により、重層構造的な日本仏教が霊魂の存在を認め、神道的なものと共に、千数百年後の今、日本人の心の遺伝子として、感覚に染み込んでいると多くの文学作品を通じて鋭く指摘する。
第2章*天然の無常 著者が寺田寅彦の遺言状と見做した、エッセイ「日本人の自然観」を引用し、八百万の神々・多神教的宗教感情の根底にある「天然の無常」を基盤とし、その上に議論を展開している。また地震学者の寺田の洞察した、日本の大自然の持つ厳父の凶暴さと慈母の豊かな包容力とが導いた、天地万物に魂が宿るとの信仰を「万物生命教」と言う著者の指摘に興味がそそられた。
キリスト教や佛教等の出現以前は、上記が人類普遍な宗教意識であったろうとし、今、ヨーロッパ近代の発展段階から自由になるべき時とする著者の考を、強く肯定したい。
著者はまた、和辻哲郎に触れ、彼が鋭くも日本的共同体を一番深いところで支えているのは、水平的関係における「慈悲」としたと、これまた同様に鋭い指摘をする。さらに岡潔に触れ、彼が数学的・物理学的真理は情のレベルで判ってこそ本物だ、また「一」の発見が人間の成長に重要であるとするのを受けて、更には岡潔を越えて、「一」の発見は同時に「全体」の発見でもあるとする著者の眼は鋭い。
第3章*捨身飼虎 法隆寺の玉虫厨子のこの仏画について、著者は十年来仏教以外の思想が混入しているのではと疑っていた。行動力に優れた著者は敦煌の現地に飛び、数ヶ所で同図を確かめた。その結果、キリスト教の犠牲的精神の影響有り、との仮説を抱くに至った。さらに、上記と関連性を持つ、上原和氏の大著に描かれたこの仏画に北方狩猟民族の文化の反映有りとの仮説から、上記の二文明のみならずギリシャ・ローマ及びインド文明が2〜3000年の歳月を経て複合されたとの考に到達している。以上、著者の誠実な探求の経緯には深甚の敬意を覚える次第である。
第4章*良寛再発見 道元が好きで、心の師として毎晩『正法眼蔵』を読んだ良寛は時として、感動して流す涙で、書物を濡らす事もあったと著者は記す。そして、その状況を詠じた良寛の漢詩を取上げ、彼の「含羞」を指摘し、人間を批判する基準として、「知性」や「冒険誠心」にも増して、これに最もウェイトを置きたいとする著者に、筆者も賛意を表する。また、道元は自然を仏のような目でじっと眺め、良寛は自然を一身上に起る事実として受け止めようとすると、著者の示す対比も見事である。賢治、光太郎、川端、親鸞やルソーにも触れられているが、長くなるので割愛する。
第5章*師と弟子 著者は中学2年生の時、地理の時間中に小説を読んでおり、怒った教師の暴力を受けた。後、自身が女子中学の教師として、小説を読み耽る生徒を叱責しようと、素早く近付いた時、ドストエフスキーの小説と知り、叱責すべき勢いが一瞬にして萎えた。この2つの体験を始め、教師というものは学生に裏切られるものであり、教師の体験が無惨なものであるとの記述に、22年間大学で教師生活を体験した筆者にも、骨身に沁みる感がある(勿論、生涯忘れ得ぬ、心温まる想い出も多いのであるが)。
独立独歩の精進を重ねた棟方志功や「殺仏殺祖」を実践した道元の、また「弟子一人ももたずさふらふ」と言った親鸞と同質性を持つ内村鑑三の、斉藤銀次郎との師弟関係の記述に心を打つものが有った。著者の言う師弟の垂直関係も今後必要不可欠であろう。
第6章*神と契約の観念 19世紀の中江兆民、16世紀のハビアンと9世紀の空海の日本研究に触れる。山本七平のハビアン評価等本章も内容豊富であるが割愛し、著者ご指摘の、西洋合理主義と日本の伝統からの、人間の不信か信か、更に、無常観と組織に対する裏切り等々の問題に今後、筆者は深く思いを潜めたき旨を記するに留める。
第7章*一神教・多神教・汎神教 著者が本章標題の3教はゲーテの中に同居し、また賢治もゲーテに近いとし、詳細に賢治の精神の軌跡を追っている。そして最愛の妹、トシの死直後に書いた3篇の詩と、1年後の長大な一連の詩から、宇宙大となったトシの魂を呼ばわる賢治の実像を見事な筆致で浮き彫りにしている。著者の筆力は大である。
第8章*森鴎外の生死観 内容豊富な本章であり、反って次の点にのみ絞る。著者は、鴎外の最晩年の諸作品を紹介した上で、彼の死に対する態度が、ドイツ人に近く、哲学的で、一般的日本人の叙情的と異なっていると推定しているが、筆者も同感である。
第9章*先祖崇拝と佛教 本章も靖国問題を始め、自然の中の神佛や「恨」等、重要問題を数多く含む。しかし一点に絞り、著者の思考実験として、死者を許す・許さないとの問題を儒教と仏教の対比として捉え直すといった、問題提起を高く評価したい。
第10章*美空ひばりと日本文化 美空ひばりの没後、演歌から日本人の心情を深いところで掴んでいた、短調・哀傷の旋律が失われた事実の指摘と、日本の演歌が東南アジアで流行る理由として、納豆を始めとする発酵食品が摂られる地帯で、それが人間の感性に大きな影響を与えるという仮説に興味がそそられる。更に、田植えの季節になると恋愛感情が刺激されるのは、日本独自の気候・風土が稲作農耕社会独特の心情を形成した結果とする池田弥三郎の議論の紹介等々は大いに参考になった。
以上各章毎に感想を記したが、筆者の関連領域の読書体験からも、如何に識見に富んだ著者に依ったとはいえ、本書のみで標記テーマが内包する全領域を覆う事は不可能であると考える。それは、本書の標題の持つ広大で深遠な領域からすれば当然で、著者が提起した諸問題の所謂微細構造を、フォローアップすべき作業が残されていると考える。
筆者は以前より山折哲雄氏の他の著書を目にした。今回改めて調べたところ、氏は現在、国際日本文化研究センターの所長を務められている。そして同センターの研究域・研究軸は、日本文化の全体像を把握するため、種々の観点から総合的な研究を行うため、共同研究をも組織し研究活動を行っている事等が判った。また所属する多数研究員(含、客員や外国人)の研究テーマや業績をも知り、非常に強力な布陣であると考える。
今後、所長を中心にして、本書の標題に関する研究の更に、広く深く実る事を始め、同センターの目的とする諸研究が益々進歩発展することを2005年初頭に当たり、心より祈念する次第である。