著者:佐藤文明
出版社:凱風社
定価:2500円+税
1968年、あきる野市五日市の深沢家の土蔵から自由民権時代の憲法草案「五日市憲法」が発見されたときに、なぜ五日市で憲法案が作成されたのか、たいへん不思議に思った。
発見者の色川大吉先生らのその後の研究から多摩地域の自由民権時代のさまざまな運動が明らかになったが、それでも幕末に新選組を輩出した多摩、名栗一揆を撃退した多摩というイメージとつながらなかった。
多摩は江戸末期から明治初期にかけて関東の中で頭抜けて政治情報をいち早く把握していた地域であることは知っていたが、天領の豪農たちには保守的イメージしか浮かばず、新選組の姿も「守旧派」の「御用テロ部隊」としか見えなかった。
だが、本書を読んでそれは間違いであり、新選組を生んだ多摩と自由民権運動の多摩とはひとつながりのものであるということが納得できた。詳しくは本書を紐解いてもらうしかないが、天然理心流から蘭学医、自由民権からキリスト教伝道まですべてのネットワークが、五日市街道、青梅街道、甲州街道、そして多摩川という筏道、絹の道というルートの上に重なる。
多摩地域には古くから自治精神があり、剣道を盛んにしたのも、農兵隊を組織したのも、自治意識が強烈にあったからであった。それが新選組という一見、幕府・将軍を守る行動に出ても、内実は「開国攘夷派」として、長州や水戸の「武力攘夷派」を抑えるものであり、一時は公武合体までも視野に入れた新時代の見取り図を描いていた。
それが自由民権時代には共和政体の構想にまで拡大し、薩長政権の尊皇政策にはそっぽを向く。だが悲しいことに多摩が描いた近代は明治新政権の弾圧と分断策の前についに実現されることはなかった。
徳川時代にさえ尊重された多摩の自治に楔を打ち込んだのは1893年の神奈川県から東京府への移管であった。その際、「多摩の死」として葬儀デモンストレーションが行われたとは知らなっかたが、1993年の多摩・東京移管100周年が盛り上がらなかったのもむべなるかなである。
歴史フィクションと銘された本書は「名主たちの物語」であり、それを支えてきた名代官江川の描写にも力が入る。その郷土愛にみちた記述には、思わず微笑んでしまうこともないではないが、自治を守り続けた歴史を支えた多摩のネットワークを丹念にたどった力作である。
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